Careする人のCare

平安女学院大学名誉教授
 精神科医 工藤信夫


これまで色々お世話になった牧師・教職、またこれまで何度も呼んでくださった地方教会に足を運ぶと、幾つかの共通した悩みがあることに気づく。
その一つは、著しい地方の疲憊(ひはい)である。急速な都市化によって、若い人がまばら、いや日中ほとんど見当たらないというのが実情である。
 次いでシャッターストリートの出現である。ショピングセンターが郊外に出現したために、かつての銀座街が鳴りをひそめたのだ。
 それに伴って、教会の少子化である。 20人近くの会員がいたとしてもその教会は60代が一番若いというところも少なくない。
次いで目立つのは、牧師、教職の不在、無牧である。献身者が続かないというだけでなく、次々と身体的な衰え、心の病で第一線を退いて行かれるのである。

 昔、北前船で栄えたある地方に2年連続で出向いたのだが、私が精神科医の医者だからなのか私を迎えたその牧師は、ここ10年で4人ほど、つまりその町の半分の牧師が、うつ、自殺、その他の事情でそこを去ったと教えてくれた。これは憂慮すべき問題である。
 というのは、私は長年その臨床のかたわら、神戸で、もう30年近く牧会事例研究なるものを続けてきたが、この問題はこれから述べる“後方支援”のテーマと大いに関係するからである。

 いわぱCareする人のCareである。

 “後方支援”というのは戦時下でなくても、なにごとによらず後ろでその人を支えてくれる組織や体制がなくては、安心して前線で戦えないことを意味する。
 日本の神学校、神学大学はなぜ臨床牧会教育(Clinical Pastoral Education)を取り入れないのだろうか。アメリカではすでにそれが牧師教職の必須とされているのに、日本では一向にその気配がない。

 かくして、主の働きに召命感があって、しばらくは頑張れたとしても、疲れたり、困難さのなかで、燃え尽きに陥ったとしても、そのほとんどは精神論、霊的な問題と片付けられてしまう。
かくして、多くの牧師、教職は疲憊(ひはい)、孤立、退却の道をたどることになる。
 日本で燃え尽き(バーンナウト)が注目されだしたのは1970年代と記憶するが、それでも長く日本の社会はカンパリズムで走ってきた。しかるに最近は“体罰”“いじめ”問題に触発されて、“パワハラ”の問題も浮上し、個人の責任努力では克服しえないテーマであることが明確になってきている。

 精神科領域でもストレス関連疾患は4大疾患に位置するまでになってきていて、組織的な取り組みが必須となるにいたっている。企業も人、教育も人、医療も人、となれば、働く者の支援は、組織の活性化につながることに、人はもっと早く考えるべきではなかった
かと思う。
教会、牧会も人ということを考えたら、これは伝道・宣教の根底に据えるべき問題である。

日本人は学ぶこと(頭)は好きであるが、話すこと分かち合うこと(心)が苦手のように思われる。しかし、牧会は人間論である。人は語り合える友、仲間がいてこそ力を発揮す
る存在である。
12ステップに参加する方々は、この学びをとおして確かな臨床力をぜひ身につけて欲しいと願っている。
各地で良書を読む会も企画している12ステップの事務局に問い合わせて下されば、情報を得ることが可能である。是非、小さな集まりに参加され励ましを受けられることをお勧めする